上毛かるた「あ」の読み札と絵札・意味・説明

上毛かるた
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浅間のいたずら鬼の押出し

上毛かるたの「あ」の札は、浅間山が舞台になった「浅間のいたずら鬼の押出し」です。浅間山は群馬県の嬬恋村と長野県軽井沢町との県境にある山で、昔から多くの噴火を繰り返してきました。

この札は、その中でも1983年(天明3年)の夏に起きた大噴火による火砕流のあと、幅2km、長さ5kmにわたり、えぐりとられたくぼ地に沿って火口から溶岩流が流れ落ちた溶岩(鬼押し出し)を詠んでいます。地元の人たちが当時「突然鬼が暴れて、真っ赤な舌を出して襲ってきた」と表現されたほどの大噴火だったようです。

浅間山の噴火

浅間山の噴火は、記録が残されている中で一番古いものは日本書紀に登場します。西暦685年に噴火があり、その後も何度か大きな噴火を繰り返してきました。噴火がなかったと思われる時期もあれば、頻繁に噴火が続いた時期もありますが、1983年(天明3年)の大噴火の火砕流で群馬県下で1,400名を超す犠牲者がでました。そしてこの噴火による火山灰や軽石などで田畑が覆われたため、作物ができず、天明の大飢饉が起きたり、吾妻川水害や利根川流域全体で洪水が発生したりして多くの犠牲者が出ました。
 
浅間山の山頂付近はその後の噴火による火山灰で覆われていますが、中腹以下は当時のままの状態で残っています。浅間山の大噴火の痕跡であるごつごつした溶岩を見ることができる場所が2つあります。長野原町営の「浅間園」とプリンスホテル運営の「鬼押出し園」の2つです。浅間園には浅間火山博物館もあり、一方の鬼押し出し園からは浅間山を真正面から見ることができるようです。いずれも近くにあるので、お天気が良い時に行って激しい噴火の様子を博物館で、静かで美しい山の様子を体感してきたいなと思います。

嬬恋村

浅間園や鬼押し出し園は「嬬恋村」にあります。この嬬恋村は、高原キャベツの産地として有名です。嬬恋村は、昔、硫黄鉱床が発見されたことから、小串鉱山として操業していましたが、昭和46年に閉山しました。統計によると昭和35年には15000人を超える人が住んでいましたが、平成27年には10000人を割っています。

しかし、自然豊かな嬬恋村には観光客が多く訪れており、万座温泉には多い時には月に60000人弱の観光客が、浅間高原には多い時には月に250000人弱の観光客が訪れています。

嬬恋村には、1972年に嬬恋村観光協会が主導となり、大川栄策氏と青山和子氏が歌うシングルレコードとして日本コロムビアにより制作された村歌「嬬恋村の歌」があります。

2013年には嬬恋村文化協会が、この「嬬恋村の歌」のほか、都はるみ氏が歌う「嬬恋小唱」、島倉千代子氏が歌う「嬬恋慕情」、わかばちどり氏と冠二郎氏が歌う「つまごい音頭」の4曲を収録したCDを発売しました。

幾度にもわたる大噴火にも負けず、おいしいキャベツを生産している嬬恋村にいつかゆっくりと行ってみたいです。

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